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3.04.2020

ありがとう!お疲れさまでした。

3月3日、桃の節句。快晴。
母の告別式でした。
2020年(令和2年)2月28日(金)
午前6時13分、76歳で旅立ちました。
生前はいろんな方々に大変お世話になりました。
ありがとうございました。

先月の18日、母の誕生日の翌日にあまりにも調子が悪いようなので妹たちがかかりつけの医療センターに連れて行きそのまま検査。
夜に出た結果は余命は1ヶ月。
電話してきた妹は泣いていた。
私も動揺が止まらない。
4年前、乳がんで片方の乳房を取った。
それが原因なのかもしれないが…
CTの結果、肝臓の8割にガン細胞が…
2月になって実家に行っても食べれない!と言っていた。
ただ妹たちと一緒に病院は行っていた。
そのまま医療センターに入院。
病院と言うのは治療するところ、体力消耗のひどい母は手術する体力すらないらしい。
妹たちがすぐにホスピスを紹介してもらい翌日に面接に行った。
すべてが順調に進んだ。
救急搬送でなく医療センターに行って早検査、CTも含めすぐに出来るなんてありえない。
そして1週間の医療センターの後ホスピスに転院。
普通は1ヶ月以上は待ち。
どれも医師、看護師などいろんな方々が驚いていた。
医療センターでは食べれないので点滴。
ホスピスに転院してからはゼリー状の物やヨーグルトを無理のない程度。
体力をつけて帰宅出来る事をみんなで家族で応援していた。
立って動き回る事は出来ないがしっかり受け答えして帰るときは気をつけて!と言って笑顔で手を降って見送る。
ある意味、元気でした。
転院当日は家族(父、母、私、妹2人)と歓談していた。
私もそれを見てから仕事に向かった。
転院翌日、午後にお見舞いに。
途中妹からメールがあったが気がつかずホスピスに。
妹たちと一緒に看護師さんから言われた言葉は…
今夜、泊まれる?だった。
妹たちは一旦帰宅していろんな用意をして父親を迎えに行く。
その間は私もが付きっきり。
妹たちがいろいろ用意(泊まる、帰るなど)をして父親を連れて来た。
そして私も一旦帰宅。
20時には戻ってこれたと思う。
日をまたいで徐々に辛さが増してきてるようだったが喉が乾いた!などは伝えていた。
闘病は夜中過ぎ。
家族室という部屋が用意されていて帰れないひとはそこで一緒に過ごすことも可能であったり我々見たいな者が泊まりながら看病したり出来る。
時間が経つに連れ力が…
そして…
家族4人で母を看取る事が出来ました。
それは母の希望でした。
お見舞いもこんな姿見られるのはイヤ!と言って孫たちまで遠慮してもらった。
葬儀も家族葬。
母の希望は叶ったかな?

いい息子ではなかった!
心配事ばかり。
心残りだろう。
ゆっくりゆっくり、休んで欲しい。
何もかもがスムーズ。
午前中に入浴、着替え、お化粧をしてホスピスから引き上げ午後には葬儀の打ち合わせ。
その日の内にすべてがほぼ決まった。
最後の最後まで本当に私たちを気遣ってくれた。
快晴の中のおくりだし。

ありがとう!
合唱