Slide Show

6.10.2020

ピアノ🎹

約50年って半世紀?
あった実家のピアノを業者に引き取り。
幼少期、音大付属幼稚園時に両親に与えられた(購入してくれた)ピアノ。
いつもあったものがなくなるというのは凄く寂しい。
ピアノって当時高価だったと思うけどどんな思いで両親は私に与えてくれたのだろう。
こんな私にでも親として夢を与えてくれたのだろう。
まったく期待を裏切り体育会に…💦
今ではまったく弾かないけど音を出すのは好きだけど…
今となってはピアノと両親に感謝しかない。
ありがとう。 

6.03.2020

緊急事態解除!

2ヶ月ぶりにカット✂してきた。
仕事もしてないので髪が伸びても何も影響はなかったが…
だんだん蒸し暑くなって耐えられなくなった💦
外出自粛で何もかも自粛してしまう。街に出ても百貨店はやってない。
マスクしてるので見た目もあまり気にならない。
マスクのせいで人がよくわからないので挨拶もままならない。
不要不急のお出掛けの1つになってしまったカット、やっぱりすると気持ちいいね。
ご無沙汰していた担当者。
今日はお互いマスク😷で仕込み?😰
ありがとうございました🙇

5.20.2020

母の日

先日の母の日。
母親がいない初めての母の日。
いつも忙しくて日曜日実家に行けなかった💦
話は一方通行ですが今年はゆっくり会えましたね🥰
合掌🙏

4.22.2020

法要

不要不急の外出自粛。
そんな中、母親の四十九日法要、納骨でした。
フェイスブック投稿も自粛してました。
法要はほぼ家族のみ。
天気も良くポカポカ陽気で良かった。
亡くなったのがまだそんなに経ってないのか…と随分昔のことのように思ったり…
こんなご時世中家族みんな無事で法要が出来た事、母親が見守ってくれたのかぁ〜と強く産んでもらった?なんて感謝して。

急遽、入院してから一度も帰って来ることが出来ず逝ってしまった母は寂しかったろう。
そして遺品整理。
なんでこんなたくさんの物がある?
でも子どもたち3人が居たところ当然物は多いはず。
買ってあげたもの、旅行のお土産など使わずに大事にとっておいた物もあって…
どこか出掛ける度に母に連絡して何か名産物食べる?送る?って聞いてたけど、海外に行ってシャツ買ってきたのを着ないでとってあったり…
なんだか切ない💦
すべてが整理出来てないのでまだまだ出て来るのだろう。
妹たちと悼み分けしていこうと思います。
コロナの影響でなかなか外出は出来ないですがみなさん無事であることが一番。
次をみれるため今を大事にして下さい。

4.12.2020

コロナ

コロナの影響で身動きとれず。
仕事もほぼ連絡なし!
組織によっては代表から社員、働くものに対して文面でリリースざれるところもあるようですが、報連相、苦手のようです。
毎回お願いはしているのですが…
元々、オリンピックで施設閉鎖や仕事も減少すると思ってたので個人的には体力は備えてたが…
その分の補償などはハッキリ、スピーディーにして欲しい。
どこも厳しいと思いますが仕事も健康あってのもの。
お互い健康、補償の件で助け合って頑張れればと思います。

4.01.2020

アレっ!

先日、カットしてきました。
いつもありがとうございます。
天気のいい日にカットするのは気持ちいい。
最近は暖かいのか寒いのかよくわかりません💦
雪が解けて〜♬
重いコート脱いで出掛けませんか!
って帰り道は寒い!で翌日雪じゃん!
そして出掛けようとしてもコロナで外出自粛。
何も出来な〜い。
土日は外出自粛。
夜の飲み会も控えましょう!って
仕事出来ないじゃん。
でも平日は少し人がいないだけで街は変わらないね。
いつも通りの仕込、ありがとうございます。
マスクは必需品です

3.04.2020

ありがとう!お疲れさまでした。

3月3日、桃の節句。快晴。
母の告別式でした。
2020年(令和2年)2月28日(金)
午前6時13分、76歳で旅立ちました。
生前はいろんな方々に大変お世話になりました。
ありがとうございました。

先月の18日、母の誕生日の翌日にあまりにも調子が悪いようなので妹たちがかかりつけの医療センターに連れて行きそのまま検査。
夜に出た結果は余命は1ヶ月。
電話してきた妹は泣いていた。
私も動揺が止まらない。
4年前、乳がんで片方の乳房を取った。
それが原因なのかもしれないが…
CTの結果、肝臓の8割にガン細胞が…
2月になって実家に行っても食べれない!と言っていた。
ただ妹たちと一緒に病院は行っていた。
そのまま医療センターに入院。
病院と言うのは治療するところ、体力消耗のひどい母は手術する体力すらないらしい。
妹たちがすぐにホスピスを紹介してもらい翌日に面接に行った。
すべてが順調に進んだ。
救急搬送でなく医療センターに行って早検査、CTも含めすぐに出来るなんてありえない。
そして1週間の医療センターの後ホスピスに転院。
普通は1ヶ月以上は待ち。
どれも医師、看護師などいろんな方々が驚いていた。
医療センターでは食べれないので点滴。
ホスピスに転院してからはゼリー状の物やヨーグルトを無理のない程度。
体力をつけて帰宅出来る事をみんなで家族で応援していた。
立って動き回る事は出来ないがしっかり受け答えして帰るときは気をつけて!と言って笑顔で手を降って見送る。
ある意味、元気でした。
転院当日は家族(父、母、私、妹2人)と歓談していた。
私もそれを見てから仕事に向かった。
転院翌日、午後にお見舞いに。
途中妹からメールがあったが気がつかずホスピスに。
妹たちと一緒に看護師さんから言われた言葉は…
今夜、泊まれる?だった。
妹たちは一旦帰宅していろんな用意をして父親を迎えに行く。
その間は私もが付きっきり。
妹たちがいろいろ用意(泊まる、帰るなど)をして父親を連れて来た。
そして私も一旦帰宅。
20時には戻ってこれたと思う。
日をまたいで徐々に辛さが増してきてるようだったが喉が乾いた!などは伝えていた。
闘病は夜中過ぎ。
家族室という部屋が用意されていて帰れないひとはそこで一緒に過ごすことも可能であったり我々見たいな者が泊まりながら看病したり出来る。
時間が経つに連れ力が…
そして…
家族4人で母を看取る事が出来ました。
それは母の希望でした。
お見舞いもこんな姿見られるのはイヤ!と言って孫たちまで遠慮してもらった。
葬儀も家族葬。
母の希望は叶ったかな?

いい息子ではなかった!
心配事ばかり。
心残りだろう。
ゆっくりゆっくり、休んで欲しい。
何もかもがスムーズ。
午前中に入浴、着替え、お化粧をしてホスピスから引き上げ午後には葬儀の打ち合わせ。
その日の内にすべてがほぼ決まった。
最後の最後まで本当に私たちを気遣ってくれた。
快晴の中のおくりだし。

ありがとう!
合唱