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11.13.2008

天才!

磐田の元日本代表MF名波浩(35)が今季限りで現役を引退。
13日にも正式発表される。
名波は来季のコーチ就任は固辞したが、将来の磐田監督就任を希望。
解説者などピッチ外での“修業”後、数年後に指導者として戻って来ることになりそうだ。 
日本代表の「背番号10」を背負った名レフティーが、ついにユニホームを脱ぐ。
「(年俸)ゼロ提示を受けず、自分の意思で引退できることは幸せなこと」。 
名波は95年に磐田入り、同年5月6日のコスタリカ戦で日本代表デビュー。
97年に磐田のJ1初優勝に貢献すると、99年にはセリエAのベネチアに期限付き移籍した。
日本代表でも98年W杯フランス大会で全3試合に出場、00年アジア杯ではMVPに。
01年に右ひざ半月板を手術して代表からは遠ざかったが、左足からの精度の高いパスはまさに職人技。高い戦術眼と巧みなゲームコントロールでサポーターを魅了した。 
手術した右ひざの影響もあり、本来ならもっと早く引退するつもりだったらしい。
06年に磐田で出番が減り、C大阪へ期限付き移籍。しかし、東京で闘病中だった母親にもう一度プレーを見てもらうため、同年オフに当時J2の東京Vに期限付き移籍した。
直後の07年1月に母親は亡くなったが、今季は低迷する磐田から「かつてのサッカーをよみがえらせるために手助けしてほしい」と要請を受け、現役続行を決意して古巣に復帰。 
他クラブ移籍の際はいずれも期限付きだったように、磐田にとって名波は幹部候補生。
来季のコーチ就任は断ったが、名波も「40歳過ぎぐらいに監督になりたい」と語っており、指導者として磐田に戻ることが濃厚だ。チームのJ1残留と天皇杯制覇に力を尽くすことが、現役最後の仕事となる。

磐田では移籍前は背番号「7」代表では「10」
当時背番号「10」は藤田俊哉。
名波はあの人だけは絶対越えられないと言っていた。
磐田はリーグの成績があまり良くない。
完全制覇した当時の磐田のサッカーをもう一度見てみたい。

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